コラムを書くことになり

当山のホームページを新装するにあたって、所定のコラムに何か書くように要請された。

この歳になって今更とも思ったが、恥のかき捨てもこれが最後かと思い直して駄文を連ねることにした。

書くからには志だけは高く大きく、かの吉田山の法師の顰に倣うつもりである。

実は15年ばかり前に初期のわがホームページに載せた拙文が幾編かあったので、時代が変わってもなんとか使いまわしの出来そうなものを撰んで編入することにした。

さて文章を書くという事になると昔ならさしずめ筆墨硯紙をやおら取り出してとなるところ、今は画面の前に座ってボタンを押せば、あとは思いつくままキイを敲くなりマウスを推せば文章らしきものは眼前に出現する。手軽と言えば手軽、気軽にとりかかり、気軽に中断したりもできる。    テガルにキガルーーーーそれだけ中身も軽いものになっているのでは―と思われる。

軽いからこそWEBなる見えぬ空間を自在に飛び回ることができるのではないのかコラムを書く人をコラムニストとよぶらしいが、昔私が師事した方で元英字紙の広告部に勤めていた人はコラミストが正しいと言われたのを思い出す。周りの英語達者に聞いてみたが、意見は分かれてしまう―ので答えは「どちらでも」(辞書にも両方の発音が載っている)

 

H29年8月31日(木)