S氏の思い出

S氏は私より十歳ほど年下だったが、会った時から何か相通ずるものを感じ合って、以後は彼の死を迎えるまで時には共に飲食し、論じ合い笑い合い嘆じあう仲となった。

きっかけは、彼の所属する建築士会会報の取材のために、拙寺金堂を訪れた時だったと思う。お互いに近接の別々のロータリークラブ会員であったことも二人を近づけることになった。

そして、何故か意気投合した二人はいつの間にか施主(クライアント)と建築家(アーキテクト・デザイナー)として私の住まう小庵を新築することとなったのである。小庵は「栖心庵」と名つけられ彼の手になる扁額も取り付けられた。

以後、ますます頻繁に逢うことになるが、しごとの話はそこそこに話題は政治、文化、芸術、芸能と至る処へ発展した。

両人ともPCではMacUserということでも意気投合したが、彼は極端なマック信奉者で、私がインテルを搭載した新機種を購入することに断固反対して他の機種に変更させた。

私のマックには私に使える筈もないCADがインストールされたままだが、それは彼が半ば強引に入れていった置土産なのである。

彼の葬儀は未亡人の意向で教会で執り行われた。私は参列できなかったが、ひと月後の同所での偲ぶ会には愚妻ともども出席した。久しぶりに、未亡人や彼の事務所のスタッフと顔を合わせて語ることが出来たが以来その人たちとは会っていない。

S氏とは知る人ぞ知る建築家の澤 良雄氏のことである

H29年8月18日(金)