石造物
年代を経た石の造型は、それを生み出したそれぞれの時代人の精神が宿っています。
不動明王
大きな慈悲の力の内に秘めた怒りのお姿。右手に利剣の刀、左手に羂索(けんさく)の縄を持っています。密教の教主に代わって修行者を守るといわれています。
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九重の石塔
鎌倉時代(正応6年1293年)に源氏一族の法尼妙阿が両親の極楽往生を願って建立したものです。塔は花崗岩(かこうがん)という、火成岩の一種でできており、高さは3m53cmあります。構造や形式などの優れた技法はその時代を代表するものと認められ国の重要文化財に指定されています。
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源家の七塔
■ 伊豆守源国房塔 天永二卯八月二日寂(源頼国の次男 源満仲公 四代孫)■ 出羽守源光国塔 永久四申七月二日寂(源頼国の孫 国房嫡男 源満仲公 五代孫)■ 下野守源明国塔 天治元辰二月四日寂(源頼国の嫡男三河守頼綱の長子 源満仲公五代孫)■ 下総守源仲政塔 大治三申四月二十二日寂(源頼綱の次男 源満仲公 五代孫)■ 山縣三郎国直塔 長治元申三月二十三日寂(源頼綱の三男 源満仲公 五代孫)■ 摂津守源行国塔 久安五巳五月九日寂 (多田太郎明国嫡男 源満仲公 六代孫)■ 兵衛太夫蔵人国基塔 康和五未十一月八日寂 (山縣三郎国直の男 源満仲公 六代孫)
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三 廟
美女丸・幸寿丸・藤原仲光の供養塔
美女丸(または美丈丸は源満仲の末っ子で、出家して僧名を源賢阿闇梨(げんけんあじゃり)と称し、満願寺 円覚院の住職をしていることがありました。藤原仲光・・・源満仲の家臣 幸寿丸・・・藤原仲光の息子
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坂田金時の墓
金太郎の名で親しまれ、氣は優しくて力持ち。動物とたわむれる姿が童話や童謡にうたわれている金太郎。源頼光と出会い、金太郎の力量を認められて家来になりました。名前も金太郎から坂田金時(さかたきんとき)と改名し、京にのぼり源頼光四天王の一人となりました。大江山で酒呑童子を退治した、武勇の誉れ高い武士です。
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四国八十八ヶ所巡り
満願寺の八十八ヶ所巡拝路は、宝塚市より「コジイの木」自然林として指定を受けています。約30分程度で回れます。境内正面の金堂から向かって右手東のほうに「四国霊場八十八ヶ所巡拝路」の入口があります。裏山をめぐって約1キロメートルの巡拝路にそって四国八十八ヶ所霊場礼所のご本尊を石に刻んでおまつりしたものです。足もとには各礼所寺院からいただいてきた「お砂」を埋めてその上に平らな石が置いてあり、「お砂ふみ」ができます。四国の霊場をすでにお参りになった方も、まだお参りになっていない方も、どうぞここで霊場巡りを味わって下さい。教えのみ親である「お大師さま」のお徳をしのんで「南無大師遍照金剛」とお唱え下さい。そのあとは金堂の左手におまつりした弘法大師御尊像におまいりください。この御尊像は当山奥の院跡地(現霊園)におまつりしていたものを平成7年5月、八十八ヶ所霊場巡拝路の改修落慶に合わせて遷座開眼もうしあげたものであります。
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かぶと石
坂田金時(幼名きんたろう)が武具としてかぶったであろうカブトに見立てた力石(チカライシ)です。
坂田金時は源頼光の大江山鬼退治に加わった四天王の一人です。
「大江山絵巻」には金時が刀をふるって酒呑童子の首を切る場面も描かれています。
現在は失われたカブトに代わって見立て石を添えています。
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女人厄除の階段
古来、女性の厄年とされている33才に因んで33段の石段を「女人厄除」を呼称しています。施主の名前「若田」「六馬」の石が立てられています。
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